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〔一口法話〕幸せな日暮を送るために
- 2016.06.13 Monday
- 一口法話
- 21:35
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- by saiyuji
「仏教」とは、仏の教え。仏教をお開きくださったお釈迦さまの教え。お釈迦さまは、その時代に生きる人々に教えを説かれました。その教えは、説く相手の人柄や受け止める器に応じて内容も様々ですが、その教えを説かれた人々が、今日より明日、より幸せな、より前向きな日暮しを送れるようになる教えを説かれました。いくら時代が変わっても仏教のみ教えは、今生きる我々が、より幸せに、より前向きな日暮しを送れるように説かれたみ教えなのです。
仏教のみ教えを一言で伝える事は至難です。なぜなら先程お伝えしたように、お釈迦様のみ教えを人に応じて変えられたからです。数え切れないほどの、み教えがあります。その数限りないみ教えを、あえて一言で申すなら、『如実知見』の教えであると言えます。「如実」という言葉は一般的にも使われる言葉です。例えば、「あの少女の後姿には、試合で敗れた悔しさが如実に表れていた」などと使います。まさに悔しい心が、ありのまま背中に表れていたということです。つまり「如実」とは、「ありのままの姿」と言えます。「知見」とは「正しく見る」という意味。つまり『如実知見』とは、「ありのままの姿を、正しく見る」これが仏教であるということです。ありのままの姿を正しく見ていると、私たちは幸せな日暮しを送ることができるということです。
では、実際私たちはありのままの姿を正しく見ているでしょうか。想像してください。目の前にコップがあるとします。その中には水が半分入っています。さて、中の水は多いですか?それとも少ないですか?半分は半分。多いも少ないと思われるでしょう。コップの水が半分。多いも少ないもなく、ありのままの姿を正しく見ることができます。
ビールが好きな方。この夏の暑い日。一日働いた後に、ビールを注いでくださる。そのビールがコップの半分しか入っていなかったらいかがでしょう。少ない!半分しか入っていない!と、ならないでしょうか。自分に利害のない、ただ想像するだけであれば、ありのままの姿を正しくとらえることができる私たちではありますが、ひとたび、この私となると、自分の都合が出てきて「多い」「少ない」とありのままの姿を見ることができないこの私たち。お経には、私たちは「恒審思量」恒に思いを量っている、だれを中心に、それは自分の都合。自分中心の考え方をするのが、この私たちですよとお説きくださっています。
幸せな日暮しをするためには、ありのままの姿を正しく見ていく事とお説きくださりました。確かにその通り。しかし、この私を見てみると、ついつい自分の都合で物事を考えてします。そういう考えではなかなか幸せな日暮しを送ることはできません。
ではどうすればいいのか。そこで大きな導きを与えてくださるのが仏様であり、先だったご先祖様です。仏様やご先祖様を、時に自分の鏡に、時に自分の物差しとさせていただくのです。『損かと得か、人の物差し うそかまことか、仏の物差し』自分自身の価値観で損か得かの物差しではかっているこの私ではないか、まことの心で考えているか、その物差しが少しでも入ってきたならば幸せな日暮しは必ず近づくはずです。それと同様に、先だった人はいつも今生きている我々を見守ってくださっています。見られて恥ずかしい考え方や日暮しを送っていないか。
また先だった方々は私たちにたくさんの事を教えてくださります。例えば、「今日という一日はどんな一日か」それは昨日亡くなった方が、何としても生きたかった一日であるということ。その今日を生きている私たちは、その人達に見られて恥ずかしい「今日」を送っていないでしょうか。また亡くなった人が最後に教えてくれること、それは、いずれ人生の最後を迎えるということ。
命懸けで教え、示してくださった事を無駄にしてはいけません。亡くなった方々や仏様としっかりと向き合うことにより、感謝や反省の心が生まれてきます。また課題や希望も湧いてくるときもあるでしょう。その心の想い、それは「南無阿弥陀仏」の六字にすべて込められています。改めてご先祖様に思いを寄せて、口に南無阿弥陀仏とお念仏申すお盆に、共々にさせていただきましょう。
仏教のみ教えを一言で伝える事は至難です。なぜなら先程お伝えしたように、お釈迦様のみ教えを人に応じて変えられたからです。数え切れないほどの、み教えがあります。その数限りないみ教えを、あえて一言で申すなら、『如実知見』の教えであると言えます。「如実」という言葉は一般的にも使われる言葉です。例えば、「あの少女の後姿には、試合で敗れた悔しさが如実に表れていた」などと使います。まさに悔しい心が、ありのまま背中に表れていたということです。つまり「如実」とは、「ありのままの姿」と言えます。「知見」とは「正しく見る」という意味。つまり『如実知見』とは、「ありのままの姿を、正しく見る」これが仏教であるということです。ありのままの姿を正しく見ていると、私たちは幸せな日暮しを送ることができるということです。
では、実際私たちはありのままの姿を正しく見ているでしょうか。想像してください。目の前にコップがあるとします。その中には水が半分入っています。さて、中の水は多いですか?それとも少ないですか?半分は半分。多いも少ないと思われるでしょう。コップの水が半分。多いも少ないもなく、ありのままの姿を正しく見ることができます。
ビールが好きな方。この夏の暑い日。一日働いた後に、ビールを注いでくださる。そのビールがコップの半分しか入っていなかったらいかがでしょう。少ない!半分しか入っていない!と、ならないでしょうか。自分に利害のない、ただ想像するだけであれば、ありのままの姿を正しくとらえることができる私たちではありますが、ひとたび、この私となると、自分の都合が出てきて「多い」「少ない」とありのままの姿を見ることができないこの私たち。お経には、私たちは「恒審思量」恒に思いを量っている、だれを中心に、それは自分の都合。自分中心の考え方をするのが、この私たちですよとお説きくださっています。
幸せな日暮しをするためには、ありのままの姿を正しく見ていく事とお説きくださりました。確かにその通り。しかし、この私を見てみると、ついつい自分の都合で物事を考えてします。そういう考えではなかなか幸せな日暮しを送ることはできません。
ではどうすればいいのか。そこで大きな導きを与えてくださるのが仏様であり、先だったご先祖様です。仏様やご先祖様を、時に自分の鏡に、時に自分の物差しとさせていただくのです。『損かと得か、人の物差し うそかまことか、仏の物差し』自分自身の価値観で損か得かの物差しではかっているこの私ではないか、まことの心で考えているか、その物差しが少しでも入ってきたならば幸せな日暮しは必ず近づくはずです。それと同様に、先だった人はいつも今生きている我々を見守ってくださっています。見られて恥ずかしい考え方や日暮しを送っていないか。
また先だった方々は私たちにたくさんの事を教えてくださります。例えば、「今日という一日はどんな一日か」それは昨日亡くなった方が、何としても生きたかった一日であるということ。その今日を生きている私たちは、その人達に見られて恥ずかしい「今日」を送っていないでしょうか。また亡くなった人が最後に教えてくれること、それは、いずれ人生の最後を迎えるということ。
命懸けで教え、示してくださった事を無駄にしてはいけません。亡くなった方々や仏様としっかりと向き合うことにより、感謝や反省の心が生まれてきます。また課題や希望も湧いてくるときもあるでしょう。その心の想い、それは「南無阿弥陀仏」の六字にすべて込められています。改めてご先祖様に思いを寄せて、口に南無阿弥陀仏とお念仏申すお盆に、共々にさせていただきましょう。
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